闘病5年間の記録  保証期間切れ
保証期限
2016年2月28日

60歳の誕生日 命の保証をしていただいていた期限である。

「半年前、還暦の誕生日までの命は保証すると言って頂きましたが、誕生日がきました。
保証切れなのですが…」
「じゃあ、保証期間を1年間延長して更新します。」

数日前病院での冗談みたいなやり取りだった。
実際は、腫瘍マーカの値は多少上がることもあるが小康、血糖値は上昇傾向で薬(インスリン)量で調整中、PETで転移があることは判明しているがCTで見ると縮小傾向といったところである。急変することはないと判断されているのだろう。とはいえ、爆弾を抱えている事実は消えない。 具体的な体調はというと、抗がん剤の副作用で白血球値が下がることは以前に書いたが、目に見える影響としては眠くなることらしい。 このせいか高血糖のせいか判らないがとにかく眠い。 夜は普通に5~6時間眠るのだが、その他に食後になるとPCの前で寝落ちすることもしばしばで長い時には3時間ほども眠っているだろうか。12時間睡眠なんていう日もある。おいおい覚醒してPCの前にすわる時間が短くなってしまう。仕方ないものだ。その他の副作用で実生活に影響が出ているものはなさそうである。 ま、順調に暮らしているといっていいだろう。 南無阿弥陀仏

自家用車生活の終焉
2016年2月17日
記念撮影

最近の生活上の変化は、愛車を手放したこと。 手術直後に衝動的に買った、一生に一度は乗りたかった憧れの車、そして富士山ナンバーにお別れした。 体力の低下と加療に要する時間的な制約が出てきたのもあるが、何より平日の多忙からくるWeekend Get-awayの必要性がなくなり、富士山麓の隠れ家を訪れる回数が激減。 昨年ついに隠れ家を手放したのだが、元々そこに行くために車を持っていたわけで、いくら憧れの車とはいえ乗ってあげられずバッテリーが上がってしまって売却を決断。 最後の記念撮影と相成った。

旅への意欲

仕事にカムバックした女房殿は今までのようなのんびり旅行には毎月行けなくなった。 それでも昨年の後半は連休などを利用して宮古島と箱根旅行を楽しんだが。 そんな中、自分一人での撮影旅行に行き始めた。二泊で奈良、一泊で谷川岳、日帰りで秩父などに行っている。 また、御輿来海岸、七ツ釜、軍艦島、京都にも訪れた。 誕生日の翌日2月29日から2泊で北海道に行く予定で、フォトグラファーの方にワークショップをお願いしている。 その次は4月最初に海外撮影旅行を企てている。 それからゴールデンウィークには久々に女房殿と行く還暦記念旅行が待っている。

保証期間中に行けるだけ行きたいという意欲は衰えていない。

写真の時間
2016年2月17日
故郷九州

ナショジオのPhoto of the Dayに猿が掲載されたのは2015年3月10日だったので、そろそろ1年になる。 もっと昔のように感じるが、実は写真にのめり込みだしてからやっと1年なのである。 現像が大切だと言うことを知り、現像に時間をかけるようになった。 また、仕上げたものをいくつかの投稿サイトにアップロードして評価や反応を見るようになった。 コンテストにはあまり多くは応募していないが、これからはもう少し応募できるようなイメージにトライしてみようと思っている。
LensCultureというサイトに投稿していたらアカウントをもらったので、画像プロジェクトを公開し始めた。 リンクはこちら>>>  このサイトでは、絶景写真的な風景写真よりストーリィ性が強く求められているので作品作り的に考えている。 自己満足的なところもあるが、思うところを伝えられるような画像プロジェクトを作りたいものだ。

福童屋Galleryをふり返ると、最近、他のことに時間をとられてあまりアップデートができていない。 このサイトはLensCultureなどとは違い撮った写真でその場所を紹介したいという企てなので、もう少し頻度を上げねばと思った。 そこで、2014年から2015年に訪れた九州で撮ったものを「故郷九州」として整理して掲載した。 ご笑覧を。

継承
プレゼン資料より
懐かしい記事

昨年後半、所属会社の現在のリーダーから、最近入社した社員に、これまでやってきたことについて話して欲しいとの要請があり3回にわたって話をした。 初回は、1988年シカゴ在住時に日米建設協議に乗じてアメリカの建設会社にアプローチした時から、帰国後その会社に転属して、現在に至るまで、経営・営業に携わって自らが体験してきたことを軸に会社の変遷について語った。2回目は、外資系の会社の中でのそして一般的に働く上でのコミュニケーションについて、3回目は、約30年にわたって自分が信じてきたビジネス論について話をした。

若い人たちに気に入ってもらったようで、初回の後、有志がアラサー会という若手がコミュニケーションを取る会をはじめ、私も招待してくれるようになった。 月一くらいの頻度での交流を楽しんでいる。 40歳以上は自分だけというのも面白い。

また、元々の要請者は若手の反応を見ていて、この手の教育のような機会をつくらねばならないと感じてくれたようで、2016年前半には月一のトレーニングをやって欲しいと要請してきた。 その講義も2月から始めている。 以前実施した大学での講義資料も使いながら、ある程度時間をかけて準備しなければならないので、これも保証期間中の生きる意欲を継続させるおおきな要因となっている。

延長期間

保証期間が一年間延長されたわけだが、どうなることやら。また、折に触れ報告していきたい。

では、また