闘病5年間の記録  化学療法を受けながら
化学治療

手術で、現状の打破はできたものの、がんという爆弾を抱えている。今後は、再発することを抑止する戦いが始まるわけである。前にも書いたが、日赤では放射線療法より、化学療法を採用することが多いようである。化学療法とは、薬を使う戦いである。選ばれた武器は、ジェムサールの点滴投与と経口薬TS-1の併用であった。

退院後、2週間目の10月24日の木曜日から、この戦いが始まることになった。2週間の抗癌剤投与と2週間の休憩、つまり4週間を1クール(サイクル)とする。抗癌剤は癌の種類によって違うとか、人によって副作用が違うとか単純ではないらしい。よく聞かされたのは、「ものすごくしんどい」らしいとか「髪が抜ける」らしいとか。(後者には、いつも「もうないので心配無用」と返していた。)開始前には、怖がらせるようなことを教えてくれる人が多かった。

初回はもう一度入院して病院内で実施した。副作用が厳しい人がいるので、反応を見るためとのこと。結果はほとんど平常と変わらず、通院での化学療法実施となったのである。

キモ

外資系で働いているのだが、同僚は(女房殿も)キモ治療と呼ぶ(Chemotherapy)。簡単な表現で、重苦しくない響きが気に入っていて、普通に使っている。

もう一種類の投薬

もう一種類、インスリンも投薬している。食前に即効型と就寝前に持続型の計4回、自分で注射を打つ。製造元のすい臓を切り出しているので当然と言えば当然不足するはず。インスリンを投薬して血糖値をコントロールするのである。血糖値の測定結果と夕食のメニューを記録して、糖尿病内分泌科の医師に報告し、投与量を決めてもらっている。今のところうまくコントロールできているらしく、6月から夕食前の投薬をなくす試行もやっている。

一回一回の高低に一喜一憂する必要はないとのことだが、低血糖には気をつけなければならないと言い渡されている。低血糖によって意識を失うこともあり実質的な危険が伴うから。2014年夏に話題になった車運転中の意識喪失は正にコントロールできなかった事例だろう。食事をする前にインスリンを打つ、つまり、食事によって跳ね上がる血糖値を安定させるためである。時間で服用する薬とは性質が違う。

ところで、インスリンは、アルコールと相性が悪いとのこと。詳しい説明はできないが、急激な低血糖を引き起こす原因になるらしい。禁酒が言い渡されている大きな要因のようだ。ま、リスクをとるつもりはなく、おとなしく禁酒している。実は禁酒しても、あまり影響がなかったのには自分でも驚いている。前は、死ぬまで酒だけはやめられないなんて言っていたのに不思議。

なお、すい臓は復活しないらしいので、最期まで付き合う注射である。

体調には波がある

化学療法の説明をもう少し。15日が1クールと書いたが、まず、第1日目に血液検査をして問題がなければ、点滴の投与を受ける。その日の夕食後から経口薬を飲み始め、第15日の朝食後まで続ける。1日2回である。そして第15日に再度点滴を受け1クールが終了する。途中の第8日の中日にも通院して検査を受ける。 検査の主な目的は免疫機能のチェックらしい。白血球値で見る。4,000~8,000個/μ㍑が正常値らしいが、1,000個/μ㍑台まで減少することがある。このような場合は経口薬を3日ほど休薬して増加させる。

そのような1クールの期間の中で体調は変わる。点滴後は吐き気留めのステロイド系の薬が効いていてハイになる。薬が切れる金曜日、土曜日あるいは日曜日に気分が低下し、何かやろうと思っても億劫で、眠る時間が増え、食欲も落ちる。とはいえ、それ以外はほとんど影響がない。辛い日があるが、他は結構まともな生活が出来ている。

次のようなイラストしてみるとわかりやすいかも。体調を感覚的なグラフにしてみた。

体調
会社の仕事

助言・支援を期待する。勤務は、在宅で良い(もちろん出社を拒否されるものではない。)必要な会議には出席する。今後の仕事について会社と合意をした基本内容である。なんて良い会社だと思われる方も多いだろう。しかし、実は50代の半ばには最前線から一歩引きたいと考え、数年前から社長と相談していた内容に近い。この機会にといった感がある。

ということで、仕事のストレスからは解放された生活を送ることができている。(ストレスゼロではない。やっぱ心配性で・・・)

パーティ
パーティ@VESTA Azabu

退院してまもなく9月の入院の直前に約束し果たしていなかった新入社員入社半年の懇談会(名称に格好つけても私的な飲み会)が12月中旬に実施されることになった。新入社員が段取ってくれたのである。新入社員は10名に満たないのでこぢんまりした会と思っていたら、先輩にも声をかけ、結局30名以上が集まり、お店貸し切りのパーティになった。心配してくれたみんなに感謝である。

このパーティで、懇親会などの場に参加できる自身がついたのは大きい。何年も参加していなかった同窓会にも顔をだす、会社に行かない日でも懇親会だけには参加するといった調子で、誘ってもらえる機会には積極的に参加するようにしている。

旅行

第一線から退いたら旅行に行きたいと思っていた。出張は珍しくなかったし、プライベートでも年1~2回の海外旅行は続けてきた。しかし、訪れてみたいところはたくさんある。特に国内で知らないところが多い。

月に一回は体調が良好な期間があるので、この期間にはどこかに行こうと思い立った。2013年の12月末、温泉に行けたのがきっかけだった。そして、1月から続けている。(2014年8月はパス)

旅行やイベントのことは気が向いたらブログのどこかに書くかもしれない。

この闘病記、現在は2014年8月時点までのことを書いている。また、折に触れて更新する予定。いつになるかは不明だけど。