闘病5年間の記録  2年目のいろいろ
マイルストンとしての1年半

今日2015年3月20日は、術後18ヶ月、2年目の中間点である。
明日やってくるかもしれない突然の体調変化の可能性を思い、抗がん剤の副作用の波に揉まれながらの毎日だが、ラッキーなことにそれ以外はいたって普通の生活を送っている。免疫機能が低下しているにもかかわらず、風邪の一つもひくことなく寒かったこの冬も越えてしまった。ある意味「とても健康」である。

さて、
2014年9月にイエローナイフ、カナダでオーロラの神秘さに言葉を失った後は、10月に山梨昇仙峡、11月四国祖谷渓谷、12月長野湯田中温泉、あけて1月長野岩湯温泉、2月長野美ヶ原高原、3月裏磐梯と、自分の五感すべてを総動員してこれらの旅を味わってきた。それぞれに感じたいい瞬間をできるだけ切り取ってきて福童屋ギャラリーに掲載しているので、チェックしていただけたら幸いである。 そんな中の何枚かをいくつかの写真サイトに投稿していたら、その一枚がNational GeographicのPhoto of the Dayに選ばれてウェブサイトに掲載された。 突然起こった「まさか」ではあったが、ちょっと嬉しかった。このビギナーズラックによって、よりこだわりをもって写真を撮ろうというモチベーションが出てきた。生きることにもつながる貪欲さが出てきたのは、多分良いことなのだろう。

また1年目の記事に書いたが、宇宙エレベーター協会の活動にも、より積極的に参加している。 技術者や大学の先生を中心とした協会であるが、私のようなビジネスの運営側の視点によるサポートを通じて、何らかの価値を提供できればと思う。この活動は、宇宙や最先端技術を扱う世界に飛び込みたいという小さい頃からの夢につながっているので、自分としては非常に興奮している。引き続き企業秘密?の多い活動なので、詳細は後日にということで。

最後に。 最近はヘビメタをよく聴く。 ヘッド・バンギング(head-banging:コンサートなどで見られる共鳴動作の一つである首振り)を思い浮かべ、ギターのリズムを聴いている。 先日、病院の治療室のベッドで聞いていたら看護師さんが近寄ってきて、「音がジャンジャン漏れてるよ。凄いのを聴いてますね。」と。 おっさんになって耳も遠くなってきたのかもしれん。迷惑かけないようにせねば。

では、また

「癌の王様」

Wikipediaは、いきなり「このことから「癌の王様」と言われている。」という言葉から始まっている。患者などから見ると、ゲ、ゲと思う。こういう文書は客観的事実を記述し、正誤はともかく誰かの主観による評判などは参照などにとどめて欲しい。

治療中の患者や関係者にとっては、精神的な闘いが大きなウェートを占めるのだが、いきなり、精神的にダメージを与えるような記述である。昨今、まずはwikiで調べる人が多いので影響が多きいと思う。医療関係者の方で、修正してくれる方はいないだろうか。

ある告別式とパーティ

10月ある告別式に参列

所属会社の社員が40歳の若さで逝ってしまった。原因が私と同じ病気で私より3ヶ月前にがんが発見され手術を経て療養していたのだが、3ヶ月前に再発してしまったとのこと。この半年、家族旅行など精一杯楽しんだと言うことで、ネガティブなことは聞かなかった。精一杯生きたことに共感してあげたい。残念でならないが。

また、あるパーティで奥様に膵がんが発見され手術もされた方に話しかけられた。これからどうなるか経験を教えて欲しいとのことだった。ブログに書いていることもお伝えしたが、「人に絶対的に起こることは唯一死である。免れないことを認識して、その時点まで長いか短いかはあるが、その人にとっての Quality Lifeを過ごすことだ。」と複数の方から教えてもらったことを単純化した言葉をお伝えした。ある程度、認識していることも文章にしてみると納得できる場合も多いのではないだろうか。病気がどうなるかは人それぞれだが、気の持ち方が生活に対して一番影響が大きいと思っているからこんな伝え方になる。

もう一つ、膵がんは進行が早いからなかなか見つからないと聞いているがどうしたら早期発見できるのかと何人からも聞かれた。医者じゃないですからとの前置きで、体調に違和感をもたれたら躊躇せずに医者に診せるんでしょうねとお答えした。私の場合、やたらと水が飲みたくなっていた、小便意を頻繁にもよおしていた(頻尿というらしい)、大便の色が黒っぽくなっていた、体重が数キロ減ってきていて、何か不安に思いはじめ(後で思うと病気の兆候だった。)、受検したいと思っていたドック行きの予約を最短で入れたのが功を奏したと思える。医者に診てもらったことと同じことだろう。

膵がん持ちとしては、もし罹病された方がいたら、早期に発見されることを切に望むばかりである。