「先ずは2年間生き延びなさい。 そうすれば存命期間がずっと延びる可能性が高くなる」 医師に勇気づけられていた言葉だ。 その2年目を迎えるにあたり、いろいろな検査を受け今後の治療方針を検討してきた。 結果として、現在行なっている抗がん剤治療を続けることになった。 当初から告知されていたとおり転移はあり、抗がん剤により再活性化を防いでいる状態であるというのが現状。 この1年間のCT画像を比較してもリンパ節の形状は殆ど変わらないが、PET画像ではがん細胞の存在が確認できる。 腫瘍マーカーの値も多少の上下はあるが高いわけではない。 つまり爆弾を抱えた状態とも言えるだろう。 この爆弾が不発弾でいる期間が長くあって欲しいものである。 2014年末には新薬が認可されたし、ドラッグ・ラグの問題も取り上げられるようになっている。 そのうち不発弾処理の方法が発見されることがあるかもしれない。
日常の生活は、昨年とほぼ同じである。 4週周期の抗がん剤治療のクールを25回こなしたが、各クールのDay2~4とDay16~18の超低調期及びDay5~15の低調期の状況は変わらない。 Day19~28の一般期に集中して旅行などのイベントを計画している。 少し変わったのはとにかく眠いことだろう。 Day1とDay15の吐き気止めを投薬したとき以外はよく寝る。 1日の睡眠時間が12時間を超える日もざらにある。 抗がん剤の影響か、体力を回復するために体が欲しているのかは判らない。 3kgほど体重が増えたせいか顔が少しふっくらし、外見が健康そうに見えるようになったらしい。会社の人に良く言われるこの頃であるが、ま、悪くない。
話はそれるが、今年2015年は建築業界がかなり一般に露出した年だと思う。 新国立競技場の件である。 私も業界人として思うところは沢山あるが、ここでは安藤さんの件だけ少し触れたい。 彼も私と同じすい臓がんに罹病していて2014年初旬にすい臓摘出の大手術をされている。 どのような状態にあるかは推察できる。 その様な彼に対し健常者と同じような振る舞い、言動を期待しても無理がある。 NHKで病気のことが報道された後も、多くのメディアで彼は何故出てこない云々の報道・批判があったが、聞くに耐えなかった。 会合に欠席した・・・当然あり得る。 それどころかベッドから出られない、考える以外のことができないなどという状態は頻発する。 そんな状況も考えないような報道に遭遇すると、無知なのか薄情なのかと思わざるをえなかった。 7月だったか一度コンペ審査の説明をされた以外は殆どメディアに露出されないようだが、病状が悪化していないことを祈る。
この1年間を一文字にすると「猿」である。
2014年12月フェイスブックで知ったナショナル・ジオグラフィックの写真投稿サイトに興味を持ち投稿しはじめた。 その12月に訪れた信州地獄谷の猿を撮った写真がそもそものきっかけで、その一枚がある日の Photo of the Day に選ばれた。世界中から1日数千枚投稿されるサイトらしい。 本当かどうか半信半疑でメールをもらったエディターをググってみたら、3月10日にちゃんと掲載されていた。 それから俄然深みにはまっていった。 写真撮影旅行を計画し、現像も覚えた。 写真では対象物を見つけることと、どんなフレームに納めるかがもっとも大切な要素だと思っているが、そういうことを考えていると周囲の風景が違って見えてくる。 これまで殆ど気にしなかった四季の移り変わりが目に入り、対象物の背景のこまかなところが見えるのである。
半年後の9月になって、またもや、ナショジオで取り上げられた。 「Eye Spy」 という課題に投稿した3枚の組み写真が Editor’s Favorite に選ばれ、 次の日の課題紹介ページに使われたのである。 そして、この写真も「猿」である。
2016年は申年。 自分の干支でもある申年を迎える準備は整った。追記:上記の課題の猿シリーズ、最終結果は選外。ちょっと見的には面白いストーリーかもしれないが、写真そのものにインパクトがないと思っていたので納得。
2000年からずっと生活の一部になっていた富士山麓での週末だが、上記の通り体調が低調なときには運転ができなくなった。 実際、手術後の1年は2~3回しか行けず、そろそろ週末は富士でという生活を見直す時期がきたと思った。
「もう2年ほどあちこち探していたのですが、やっと気に入った家が見つかりました。持ち主のこだわりは私が引継ぎます。」 我々にとっても喜んで引継ぎたいと思うような新オーナーが見つかり、とても良い形でのバトンタッチが実現して嬉しい。
この山荘については、構想・企画から施工中のマネジメントまで自分でこだわった思い出の作品であり、15年の思い出の場所でもあるので、ブログの別ページに載せることにした。
昨年のオーロラ観賞旅行のあと、女房殿とともに、山梨昇仙峡、四国祖谷渓国、長野地獄谷、長野岩の湯、美ヶ原、裏磐梯、出雲、立山黒部、フィンランドと行った。 自分だけでの撮影旅行として行った熊本への2回も加えると、11回もの旅行をしたことになる。 1月以降は撮影中心の旅行スタイルと変化してきた。旅館で美味しい物を食べて温泉でのんびりというより、アクティビティ中心で宿泊は二の次というようになった。
今後は、隠れ家を手放したことにより、こんな旅行に行く機会がもっと増えることだろう。
なお、四国祖谷渓国、長野地獄谷、美ヶ原、出雲、フィンランドの旅行で撮った写真はそれぞれ 福童屋Gallery に掲載している。
主治医の先生からは、「あなたの還暦の誕生日までの生存は保証します。」との言質を頂いた。 「また、そんなことを…」と言われるかもしれないが、色々なことを夢見ている今日この頃である。それらの報告は、また改めて掲載することにする。
では、また