闘病5年間の記録  イエローナイフ にて
手術後一周年記念旅行

2014年9月20日、イエローナイフにいる。手術後1周年を記念しての旅行である。

「Quality of Lifeを第一に考えて余生を過ごすべし」を実践して来た一年だった。抗がん剤治療を続けているので制約は多いが、毎日を楽しんで過ごしている。

会社では、代表取締役副社長から取締役相談役と立場を変えてサポートしている。9月に執行役員制度を大きく変革したが、このような変革の際などのサポート機会は少なくない。。

趣味が高じてきている。一つの対象が「未来への挑戦」。少年時代から大好きなSFの世界は、未来世界だ。そして、実現する世界だという想いを持ってきた。クラーク(Sir Arthur Charles Clarke)の静止衛星のストーリーがあこがれだった。小説に書いたアイデアが28年後に実現した。「特許を取っていたとしても既に切れている。」それより世界の進歩が重要だという。 そして、そのクラークが「楽園の泉」で語った宇宙エレベーター(SPE)が興味の対象となっていた。日本で2008年にSPE協会が設立されたとき会員になったが、アクティブな活動はやってこなかった。しかし、今年は少し参加する契機ができた。まだまだであるが、経験を生かしたことができれば面白い。なにせ、日本の宇宙開発に参加しているという自己満足でもあるのだから。この活動の詳細は現時点では企業秘密だが、そのうち報告できることもあるだろう。

次は旅行。退院後2ヶ月を過ぎた年のはじめ、姫路城の改修工事で天守閣に上れるのは10日過ぎまでというニュースを見て思いつきで出発。年末の箱根に続き、これら2つの旅行をきっかけにむくむくと意欲が湧いてきた。なかなか行けなかった所に月1回のペースで行ってみようと思い立ったのである。2月伊勢・志摩、3月自分のルーツを巡る久留米、4月中九州やまなみハイウェイ、5月宮古島(会社から)など、6月青森、7月北海道。8月は富士山麓の山荘に行く予定が天候不順により実現できず。致し方なくパス。そして今月9月は海外旅行に挑戦している。「オーロラを体験する」旅行である。現役時代、週末だけで見に行けないかと検討したこともある旅行である。術後1年の記念日にそれが実現してここにいる。生きてここにいる。

付け加えての楽しみだが、「福童屋」という屋号を商標登録し、その名前でホームページを開いた。以前から開きたいとは思っていたが、コーディングなどする時間がなく実現していなかった。この半年くらいで、BlogとGalleryを開設したのである。ここまでした理由?う~む。自己顕示欲の発露とでもしておこう。

感謝

体調を心配してくれる人には感謝している。そしていつも説明しているのだが、体の物理的回復はすこぶる良い。開腹した傷口に痛みが残るもののたいしたことはない。食欲は旺盛で、酒を飲むことはできないが、よく食べている。医師から、体力をつけるためにはどんどん食べるように、体重も落ちないように、と言われたことを、そのまま愚直に実践している。毎日3回規則正しく食事をとる。この三度の食事には時間を取られる。どうしてもコンビニ弁当などで済ます気にはなれないので作る。そうすると買い出し、料理、後片付けに1日4~6時間ほどは使ってしまう。だが、これも趣味の一種と考えれば苦にもならない。もう30年使っているマイ包丁(女房殿は基本的にこの包丁は使わない)で下拵えするのが楽しい。スタタンタンといい音が出て千切りができると、その日の調子が良い証拠である。横道にそれてしまった。戻ると、そのような食事をしてインスリンでのコントロールをしているからか、すこぶる快調でコレステロールなどの値が健常者の値に近くなってきている。抗がん剤の副作用については前述したが、特に変わっていない。。

日本膵臓学会の生存率は、5年24%と前述した。もう少し詳しく見ると術後1年では90%近くである。これは、術後暫くして再発しても9ヶ月の余命があることを考慮するとあまり重要な指標にはならないと思う。1年後から3年目の40%程度にまでは、ほぼ直線的に下がる。それから先は40%から5年目の24%までの緩やかな低下となる。つまり、もう一年生き延びれば、5年以上生き延びる可能性がぐっと高くなると言うことになる。この一年を今までと同じように過ごし、来年の記念日を迎えたいものである。

追記2014年12月10日:StageⅢだと聞いていた記憶しかなかったのだが、種類にはT1N1M0とありStageⅡのようだ。(前のページは黙って修正済み)統計値に差が出るのだろうが、カーブの形状は変わらないはずだし、数値を調べ直すのも面倒なのでそのままにしておく。自分としては、生きるか死ぬかのどちらかなので、あまり拘っていないのも事実である。

2年目

医師と相談し、抗がん剤投与はそのままもう1年続けることにした。体力の低下が見られないことがベースになっている。闘病は、まだまだ続く。いやずっと続く。

しかし同時に人生の質にもこだわりたい。時間を無駄にはしないぞ