朽ちゆく廃墟

軍艦島

長崎県の離島・端島は、かつて海底炭鉱で栄えた島だ。その姿が軍艦に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている。いや、端島というより「軍艦島」の方が通りがよいだろう。

その世界遺産・軍艦島が直面する老朽化と保存の課題が、「日経スペシャル ガイアの夜明け」で取り上げられた。番組に映る建物は、2015年に訪れた時に自分が撮った写真よりも傷みが進んでいるように感じられた。写真には、その時の島の姿が残っている。しかし、建物はその後も風雨にさらされ続けている。世界遺産として、何を、どのような姿で後世に残すのだろう。建物そのものなのか、軍艦のように見える島の景観なのか、そこで暮らし、働いた人々の記憶なのか。保存という言葉の難しさを、番組を見ながら考えた。

訪れた時は見学できる範囲が非常に限られていた。居住区の狭い通路から建物を見上げたり、建物の間を結ぶ空中回廊を眺めたりしたかったが、それはかなわなかった。番組で紹介されていた、これまでより広い範囲を見学できるツアーが実現すれば、また訪れてみたいものだ。

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2015年10月に撮影した写真を整理した。訪問時は秋晴れで、まばゆいほどの日差しがあり、コントラストのきいた写真になっていた。ただ、その場所で受けた印象は、モノクロで仕上げた方が表せるのではないかと思う。以下の建物名や用途は、ネット上の資料を参考にした。

写真⑦の30号棟は、1916年に建てられた、現存する日本最古の鉄筋コンクリート造集合住宅だ。建築に携わる者として、その歴史的な価値には惹かれる。同潤会アパートが失われていくのを惜しんだ自分には、残しておきたいという気持ちもある。

軍艦島の写真を見ていると、ニュースで目にするガザやウクライナの、戦争で破壊された街の姿が重なることがある。人が去った後、長い年月をかけて朽ちてきた建物と、人が暮らす場所を戦争が破壊した建物では、そこに至る事情はまるで違う。それでも、崩れた壁やむき出しの柱、かつて窓だった開口部を見ていると、どちらにも人の暮らしがあったことを思わずにはいられない。軍艦島では建物の形に惹かれてシャッターを切った自分が、その似通った姿に、今はやるせなさも感じている。

では、軍艦島をどう残すのか。残しておきたい気持ちはあるが、建物群を莫大な費用をかけて復元し、あるいは現在の姿にとどめ続けることには賛成できない。防水など、劣化を遅らせるための補修を施し、少しでも長く残すことはあってよいと思う。しかし、今ある姿は、人が暮らしていた頃の姿とはすでに違う。どの時点の姿を、どこまで残すのか。番組では、島全体の補修には1000億円規模の費用がかかるという話があった。具体的にどのような工事を想定した金額なのかはわからない。ただ、仮に失われた部分を作り直して往時の姿を再現したとしても、自分がこの島で感じたものが戻るとは思えない。今の姿を維持するために、大がかりな補強を重ねていくことにも、どこかで限度を設ける必要があるだろう。

軍艦島が象徴的な産業遺産であることは確かだ。それでも、保存のために際限なく資金を投入すべきだとは思わない。それほどの資金を投じるのであれば、私は災害への備えなど、これからの暮らしや命を守ることを優先したい。建物を惜しむ気持ちと、何に資金を使うべきかという判断は、同じ答えにはならなかった。